この間テレビで、今もなお仮設住宅で暮らす、自分の母親ぐらいのおばあさんが、津波で流されてしまった主人の遺影前で、「何も出来ないまま1年が過ぎてしまったんですよね」と言っていた。あのおばあさんの気持ちに比べたら、自分の境遇なんぞハリケーンと放屁ぐらい違いがあるけど、なんとなく自分も同じような気持ちだったし、どこにも行けないまま今に至っているような気もする。
この1年は幸運にもアルバムのリリースやツアー、ライヴも定期的に入ってたし、仕事も普通にこなした。よっちゃんや友達とも良く遊んで飲んで、傍から見ても見なくても、何不自由ない1年だった。新曲もちょこちょこライブでやったりで次回作につなげたい一心で日々生きていた。でもあの震災から何を歌っていいのかわからなくなったのが正直なところ。アルバムに収録されている曲は全て震災前に書いたものだし、以降も歌詞は書いたけど中々どうして難しかった。考えてるだけでもいけないから、フレーズを作ったり言葉を記したりしてたけど、いまいち悶々としたまま1年が経過していた。
リリースに関してもだ。フォークに関しては会社との契約もあり、出さなきゃいけない部分も多少あった。でも吉村さんとの共同作業から始まって、途中で彼は外れてしまったけど、長い期間かけて作ったものをお蔵入りにせず、世に出せてホッとしているのが本心。しかもリリースした頃にはミニアルバムぐらい作れる曲は揃ってたから、さぁ次作!となった時に、音楽というものを売ることに関して、ヒドく考え込んでしまっていた。ここでは諸々端折るけど、結局自分は本当に音楽をやりたかったのかというところまで行った。ここに来て何も言葉が出ない。励ますことも違うと思ったし、悲壮感を漂わせるのも問題外。ポリティカルに問題提起するのもオレがやることじゃない。いろいろ考えるだけで時間だけが過ぎた。
でも日々生きていると素晴らしい音楽に心を奪われたり、過敏に反応してしまう自分がいたのも事実。持ってる武器もそれしかない。創作意欲だけはある。そんな時にあのおばあさん。もうそのまんまでいいというか、励ましたければ励ませばいいし、悲壮感を出したかったら出せばいい。なんかそう思った。でも今まで培ってきた自分のものも加味して、今はまたしこしこと曲を作り出してます。1年経って気持ちの整理がついたというか、なんか言葉に出来ないけど少し加速してます。年内にアルバム出せたらいいんだけど。まずライヴやれるとこまで行きたいね。いろんなオファーも断ってホントすんません。良い状態で帰還します。消えません。